9月10日(日)【中国流結婚式と馬さん拉致事件】

《中国的結婚式》

今日は田原さんと于世国さんの会社の人の結婚式。
9時半頃に于さんの車に一緒に乗り、会場を目指す。
会場に到着すると、爆竹の大連発(2〜3分鳴りっぱなし)と打ち上げ花火(しかも路上で)の連発!
車は花火が上がっている会場に到着。 結婚式はココなんだぁ・・・と思っていたらココは別の会場。 すごすごと本来の会場である隣の建物に入る。
玄関を入ると、そこは既に会場となっている。 この辺が日本の披露宴会場とは違うところ。
ごった返している会場には200名くらいいるだろうか・・・目の前に結婚しました!看板がある。 

これが看板
かなり修正入ってそう。
披露宴開始までチョット時間があったので、いろいろな写真を撮った。
なんせ中国式の結婚式は始めてなのだ。(そりゃそうだろ!)

そうそう、この人が「于世国」さんです
こちらは無修正。
くどいようだが左は田原さん。 程なく結婚式が始まり、ご両人の紹介の前に、主賓の紹介があった。
司会者から于世国さん、田原さんが紹介され、立って会場の人たちに挨拶をしている。
その直後、司会者が「しんいえ・・・ふろむじゃぱん」とか言う声が聞こえる。 ま、まさか? 違うよね? と思ったら、田原さんがこっちを向いて、「ほら!来たよ!」と。
「マジかよ〜! なんで私が紹介されるんだよ〜!」とチョット恥ずかしかったが、折角名前を呼ばれたので、皆さんに目一杯手を振ると会場がかなり盛り上がってくれた。 (あ〜こうゆうキャラなんだなぁ・・・私)
その後の披露宴は、基本的には日本と同じようなイベントが組まれている。 馴れ初めから今に至るお話。 キャンドルに火を入れるなど・・・
また、料理はハンパじゃない。 これを8人程度で食え!と言うのか? という量。

この量を見よ!
大食い選手権じゃないつーの!
ここで日本と違うのが、お開きがキッチリしていないという所。
宴も最高潮という時に、新郎新婦がお酒を持って各テーブルを回る。 この時最初に来たのが我々のテーブル。
何をするのかと思えば、各テーブルの人と乾杯!をするのだ。 マジですか?200名ですよ!死にますよ!新郎さんよ〜!
一番最初は、もちろん于世国さん、そして田原さん・・・お互い小さいグラスで乾杯。
そして私の番。 私の前には小さなグラスではなく、いわゆる200ccのコップ。 安そうな一杯飲み屋で使うようなヤツね。
しかも、そのコップには半分くらいまで白酒(今回は38度)が入っている。 折角注いでくれて、それを一気する訳だから悪いと思い、まずはコップの中身を空ける。
ここで、我々のテーブルから拍手が起こる。 なんでだよ〜。
空けたコップには、またまた半分以上入れる新郎が居た。 睨みを効かせても、ここは披露宴。 全く効果無し。
もう、ヤケッパチ! 乾杯をした後の私は気合を居れ、右手でコップを持ち、左手は人差し指を高く上げリズムを取るように、一気を始めると会場200人から歓声が沸き、どよめいた。
後の話だが、日本人であの酒をそこまで一気するとは、誰もが想像していなかったようだ。
さてさて、新郎新婦がテーブルを半分くらいまで廻り盛り上がってきたな〜。 と思っていたら、既に乾杯を済ませた人たちが帰っていく。 えっ? なんで挨拶なしで帰るの? これは、その場で聞いた話なのだが、中国式はこんな感じらしい。 というか、日本が挨拶して終わるのが好きなんだろう。

《ヨッパライのお片づけ》

結婚式もお開きになり、白酒を飲みすぎた私はゲップも白酒臭でいっぱい。
一度、于さんの車で田原さんの寮に帰り、青島行きの身支度をする。 酔っ払っていたので、普段であれば20分くらいで出来る身支度が1時間くらいかかったような気がする。時計は見ていない。
なにやら、いろいろと忘れ物がありそうだ。 と思ったのは夜の事でした。
その後、またまた于さんの車で連れて行かれ、早めの夕食? ま、いいか。
ゆっくりと早い夕食を取っていると、あっという間にあたりは暗くなっている。

そうこうするうちに19時40分頃に北京駅に到着。
私と田原さんは20時に待ち合わせる予定の尹さんを待つ。
20時10分頃に尹さんと合流し、列車の時間まで近くの飲食が出来るところを探したら、そこは日本料理屋(やっとここで久しぶりの日本料理)・・・日本料理と言ってもどうやら一周3メートル程度の回転寿司。 でも店はそこそこ広い。 これを日本人が見れば、とても如何わしい店だと言うのは数秒かからないだろう。
私と田原さんはビール、彼女はコーラを頼みしばしのトークタイム。
その後、つまみを頼んだのだが、ほうれん草のお浸しと寿司を1人前、納豆巻きを注文。
悪戯半分で尹さんに納豆巻きを食べさせる。
一口食べたものの、はやりあの納豆臭さと粘りが中国人には合わないのは、我々も十分予測する範囲だった。
それでも、鮪とか鯛とかの寿司は食べていたので、生魚には抵抗は無いよう。
田原さんとは21時30頃に別れ、尹さんといろいろトークをするが、尹さんは日ごろの疲れか、欠伸しっぱなし。
ん〜、あまり人に対して興味が無いのか・・・それとも私に対して興味が無いのか・・・微妙な心境。
22時に日本料理屋が閉店してしまい、その後は、その日本料理屋の向かいにあるケンタに入る。
私は中国で4杯目のコーヒーを飲み、尹さんはお茶。
特に何も話すネタが無いまま、23時チョット前になったので、北京駅構内に行く。 青島行きの受付はごった返していた。 とりあえず列車に乗り込む。

《馬さんは予想GUY》

しばらくして、23時過ぎ、馬さんが列車の中に入ってきた。 今回の中国最後の見送りをしに来てくれた。
ビールと水と軽いつまみを購入しながら馬さんとホームで話すが、尹さんが一人で車両の中にいるので寂しがるといけないと思い、私と馬さんは彼女がいる寝台の部屋で話すことにした。
23:33分、あと3分なので、そろそろと思った時、列車のブレーキが外れる音がして、車内が軽く揺れる。
もしや、と思い馬さんとドア近くに行ったら、ドアは半分まで閉じられていて、今にも完全に閉じそう。
馬さんは乗務員にドアを開けろ!と叫んだがそれも空しくドアは閉ざされた。
ペーペーの女性客室乗務員にそんな事を言っても無駄だろうと。 お偉い人を呼ぶ事にする。
お偉い乗務員の人が到着。 またまた女性の乗務員。でもレベルは高そうなくらいの天狗が来た。
10分ほどお偉い乗務員と馬さんの口論になり、馬さんもかなり熱くなっている。 あまりにもラチが開かないので、私が乗務員と話す。 もちろん中国語で話す訳がない。
私は思い切って日本語でお偉い乗務員さんに言ってみた。「これはどうゆうことなんですか?3分前に列車が動くなんて非常識じゃ・・・・」と延々3分くらい日本語で喋っていると、最初は天狗だった彼女もだんだんと目が真ん丸くなり、そのうち目線を合わせないようにしている。 明らかに私の勝ちだ!
この状況で・・・次の駅で降りるとどこ?と尋ねると、山東省に入った後だそうで青島の直前の駅。
かなりの虚しさが漂う。
日本で言えば、東京発岡山行きの夜行列車の次の停車駅は神戸と言われているのと同じ状況。
3分前に発車した事を乗務員も認めたので、この列車の料金は無料。 しかし、帰りは有料になるそうだ。
馬さんもとうとう諦め、乗務員の控え室で使用しているB寝台を1つ開放してもらった。
しばらく食堂車で馬さんとビールを飲む。 馬さんはこの事態を自宅に報告するために、電話をし始めた。
電話がつながり、状況を奥さんに話していると・・・電話相手の奥さんの声が高らかに聞こえる。 どうやら、日本語で言えば「あんた!なにしてるの?ばっかじゃないの?」とでも言っているのだろう。  確かに「ばっかじゃないの!」はその通りだと思う。
5分くらい話して落ち着いた感じになって来たので、「奥さん日本語出来るんだよね? なんなら私が話すよ。 じゃないと馬さんのアリバイもあるでしょ!」と言うと馬さんは素直に電話を代わり、私が奥さんとお話をする。「この度は申し訳ありません・・・」と。
奥さんも落ち着いて話してくれて「いや、うちのが悪いんですから気にしないで下さい」と言っているが、この件、私が悪い事は十分承知しているので、ただただ謝るだけでした。 あ〜、疲れるよ〜! 全部3分前に出たのが悪いんだ〜!
私の為に見送りに来てくれた人が、一緒に青島まで行くとは・・・私と馬さんとは何か繋がっているのかと考えてしまう日でした。

あっ、すっかり忘れていた。 そうそう、尹さんを部屋に残したままだ! マズイ!可哀想な事をしてしまった。
急いで部屋に帰ってみたら、すっかり熟睡でした。 ふぅ〜。


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