9月13日(水)【船旅の別れ】

《大塚寧々は中州出身?》

朝7時に起床するも、食欲は相変わらず無い。
外の景色を見ると、おお!陸が見える。 日本なのだろうか? とずっと外を見ているとだんだんと近づいてくる建物の看板・・・間違いなく日本だ。 やっと帰ってきた。
この2泊の間にいろいろなものを出してしまった荷物をしまわなければ、降りることは出来ないので、ぼちぼちだらだらと荷物の整理を始める。
9時頃、乗務員が荷物を先に降ろし始める。 そろそろ下船か? と思いきや、なにやら如何わしいグレーの服(船内乗務員は男性は白、女性は黒)を着た男女が入ってきて、これから何かを始めるらしい。
船内放送で分かったのだが、体温検査をするらしい。 鳥インフルエンザ対策だと言う。
下船前の待ちで大塚寧々さんがソファに座っていたので「昨日は大丈夫でしたか?」と聞くと、結局一晩辛かったそうで、やはり船酔いに弱い人がこうゆう旅はキツいのだろうなどと感じた。
でも下船前は結構元気で福岡の話をしたら、彼女も福岡に2年以上居たらしい。 中洲も知ってた。
まさか中州で・・・と聞いたところ、そうではないという返事。 いやはや、中州で会ってなくて良かった。(爆)
下船は9時40分あたりだっただろう。 久しぶりの日本の大地。 嬉しかった。

下船後には入国審査。 結構な荷物があった。 審査官は私の段ボール箱に目をつけ、この箱の中身を全て見せた。
箱の中身は、全て中国のお土産。 審査官からすればくだらない内容なものばかりだが、世間話をしながらも審査官は一所懸命見てた。
内容を把握している私は笑いそうになったが、そこは入国審査。 我慢。我慢!

《お別れ》

入国審査をしたあと、ロビーでしばらく待機していたら、次々と知った顔が窓口から出てきた。
まずは、初めて中国から日本に入る女性2人。 迎えの男性の人がいるにも関わらず、私は2人の元まで歩き、二人に握手して「再見!」の一言を言う。
そのご、イギリス人の2人組が現れたので。こちらは「see you!」と握手をし、最後に小学生の男の子(中国語ベラベラ)と握手をした後、港のロビーから下関駅に向かう。 荷物が行きより多いのでかなり苦労した。 多分20分くらい掛かっただろう。 途中でイギリス人に抜かされ「ハロー!」と言われたものの、体力ゼロ。 手を振るだけで精一杯だった。
駅に着くと、大塚寧々さんと加藤さん夫婦が居た。
加藤さんには10時22分の小倉方面に一緒に乗ろう!と言われたが、荷物の事を考えると一緒に行動出来ないだろう。と私は判断し加藤さんを、その場で見送った。 大塚寧々さんは、彼が近くで公衆電話を架けているらしく、なかなか戻ってこない。
「帰ってくるまで待ちましょうか?」の言葉にも「大丈夫です!」と返事が返ってきた。 問題無さそうだ。(没問題!)
少し世間話をした後別れの握手をして、私もホームに向かう。
ゆっくり上がったつもりが、22分の小倉方面の電車に間に合った。 最後尾の座席に加藤夫婦が座ってる。
乗車して動き出すと、懐かしい車内アナウンス。 ネイティブな日本人のアナウンスで嬉しかった。
加藤夫婦は、夕方の新幹線で帰る予定だったのだが、私が「せっかくだから別府温泉に行ってみては?」との一言に加藤さんの奥さんが「行きましょう!」と旦那さんに言っている。
そんな短い話をしている間に小倉駅に到着。 加藤さんともお別れ。
加藤夫妻は本当に別府に行ってしまったらしい。(後のメールで判明)
それから、別府温泉に行き次の日は宇佐神宮を観光した後に「のぞみ」で新横浜に向かったようだ。 あの夫婦のバイタリティは凄いもんだ。
我々夫婦も20年後にはそうしたものだ。

《最後はひとり》

13時過ぎの有明に乗車。
船で別れを言った人たちがだんだん少なくなり、この列車は私一人。 かなり淋しい。
博多駅に到着したのは14時過ぎ。
博多の宿に荷物を預け、久しぶりの日本を歩く。
昼ご飯を食べていなかったので、これまた久しぶりの吉野家へ。
豚丼でも懐かしく感じる。涙が出そうな感じを押さえながら、一人でひたすら丼ぶりをかき込んだ。
ヒマで致し方なかった私は久しぶりにパチンコ屋さんに入る。
「そういえば、中国には、こんなところ無かったなぁ・・・調査してなかったからかな?」とか考えながら少しの間、最近は滅多にやらないスロットを打ってみたが、なんか虚しい。 この2週間で付き合った人たちの事を思い出すと、あまりにもインパクトが大きかったせいか、とても虚しい。
さっさと引き上げ、ブラブラしているうちに夜なったので、宿に戻り、ひたすらこの日記を書いていた。

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